大洲という地で、志ぐれを作り続けてきた先代たち。 「大洲志ぐれ本舗 冨永松栄堂」の基礎を築いた初代の八太郎は、どのような人物だったのか。現在に至るまでどのようなことがあったのかをお話しいたします。 《 初代 》 明治八年~大正十二年 明治八年、八太郎商店を開業しました。今から約二百年前、大洲藩江戸屋敷内の秘伝菓子として誕生した『志ぐれ』を、地元小豆を使ってを商品化しました。当初は、竹の皮で包み販売していました。冨永松栄堂の基礎を築いた人物です。 趣味は、踊りに三味線。映画を見に行ったり旅行に行ったりとハイカラおばあちゃんでした。性格は、几帳面できれい好き、おしゃれで気位高い人でした。長火鉢に、長キセルを愛用していました。”商いするより、考えをせよ!”が、口癖で、「バタバタするな。利は元にあり」と良く言われていました。 【明治四十一年と大正三年の大福帳】 《 二代目 》 大正十二年~昭和三十年 趣味は、尺八を吹くこと。朝から晩まで、せんべい焼きから残月、栗まんじゅう、志ぐれを作っていた、働き者の人でした。戦後は、お菓子屋が出来なくて米作りをした事もあったそうです。性格は、人間性にとても優れた人で、義母の下でうまく冨永家を支えました。他人様からも慕われ、相談事も多く、まとめ役でもあった人でした。 趣味は、長話。 『志ぐれ』作りに熱心で、朝7時半に注文が来れば、4時頃から作り始めていたそうです。当時はセイロで蒸し、ウチワであおって冷まし、それを包丁で切って、ヘギに包んで売るという作業でした。性格は、恵まれない人を見ると、放っておけない心優しい人でした。 《 三代目 》 昭和十六年~昭和十八年 太平洋戦争で戦没(享年23歳)。戦地に赴く前の佐世保からの手紙が、15通ほど残されています。 《 四代目 》 昭和三十年~平成十一年 《 四代目 泉 》昭和十年三月、大阪で山下家の次男として生まれました。戦争中は、田舎へ疎開し戦後の混迷の中、衣食住にも苦労を重ねたそうです。中学卒業後は職人になり、遠縁にあたる冨永へ入りました。一年後、「これからは、洋菓子の時代」と京都で修行を重ねました。その後、大洲に帰り『志ぐれ』を中心に他の商品開発にも熱心に取り組みました。当時は、道路の悪さから、自転車での配達の途中に転んだりと、生傷も絶えなかったそうです。朝から晩まで一日も休み無く仕事をするという人でした。 昭和四十一年、昭和天皇皇后両陛下が、松山にお越しになった時志ぐれを献上。昭和四十八年、伊勢神宮へ奉献。四年毎にある全国菓子博にも出品し、最高の名誉無鑑査賞を受賞しました。昭和五十一年、大洲市柚木へ工場を建て、機械を設備しました。昭和五十五年、大洲市志保町本店の改装と共に住宅も新築し現在に至ります。その頃、いろいろな方のご尽力のおかげで、いよてつそごう・フジ・空港売店と『志ぐれ』が広まっていきました。 又、食品協会会長・観光協会会長・県関係等要職に付き多忙となります。共同店舗の話が出てから、十年余りの年月をかけ苦労して、アクトピア開店にこぎつけました。並みの苦労ではなかったと思いますが、精神的にとても強く機敏な人だったからこそであったと思います。 家では、少しの時間も惜しみ読書にいそしみ、あらゆる知識を得ていました。趣味は、ゴルフ。色々な面での友達が多く、幸せな人でした。又、大きな夢の持ち主でした。時間と私財があれば、皆様のお役に立つ夢が実現したでしょう。 「攻める人生の後には、守る人生あり」時代にあった『志ぐれ』作りは、頭から離れなかったでしょう。 《 四代目妻 節子 》現在も【大洲志ぐれ本舗 冨永松栄堂本店】の店頭に立って、お客さまを御迎えしております。 《 五代目 》 平成十一年~ 《 メッセージ 》当店は代々、初代の八太郎が事業を開始後、取り嫁に取り養子でつないできました。そして、私五代目が、初の嫡男になります。大学卒業後に京都の菓子司末富で修業して家業につきました。35歳の時に大病を患いましたが、奇跡的に復活することができ毎日が感謝です。その経験のなかで、経営理念を構築して経営にあたっています。 40歳の時に先代が亡くなったのを機に代表取締役になり、改革にのりだしました。おかげさまで二十周年を迎えようとしています。 2018年、愛媛県大洲市は「平成30年7月豪雨」により、肱川が氾濫するなど甚大な被害を受けました。私が幼かった頃、冨永松栄堂本店の奥にある仕事場として使っていた蔵の二階の物置に、一人乗りの木船が天井の柱につるしてありました。昔から、水害に見舞われていた地域なんだと、あらためて実感いたしました。そのような地で、『志ぐれ』作りを続けていくことは、会社を大きくするより難しいことかもしれません。 現在に至るまで、さまざまな苦難を乗り越え、途絶えることなく続けてこれたことに感謝いたします。先代から受け継いだ当店を、大洲名物『志ぐれ』を、もっともっと広めていけるよう、みなさまに愛される『志ぐれ』を追い求めていきます。創業百五十年の時には、創業地の志保町本店に古い資料や木型などを展示した志ぐれ資料館を整備して、六代目をご披露したいと思います。